*
「ねぇ立花」
「なんですか」
「立花って」
好 きな人いるの?
突然の問いかけに、思わず、動きが止まる。
楽しそうに厭らしく笑みを浮かべた貴女は、机に肘を付いて手の甲に顔を乗せて俺を眺める。
「ねぇ、いないの?」
固まってる俺に、追い討ちをかける、貴女。
いないの、って…。
いるよ。好きな人、とやら。ずっと。
ただ、いくら急かされたからって、あんただ、とは、さすがに言えないわけで。
「さぁ、どうでしょう。突然なんです」
「やーなんかきょう話題に上がったんだよね。立花って今女居たっけーって。なんでそんな話になったんだっけな。あ、立花の、顔が…いいから、って言う話で…?」
「いや、聞かれても。まぁ、褒めて頂いてる、んですかね」
「そうだね、褒めてるよ。大褒め」
軽い口調で、そう言ってのける、貴女。そう、いつだって、貴女はそんな調子なんだ。
伝わらない?なんて言いながらくりんと大きな眼を瞬かせて首を傾げる。
可愛い人だ。と、俺は心の中で思う。
ねー、と俺の名前を呼びながら、先輩は俺との距離を詰める。
出来る限り、緊張しているのを悟られないように、動じないように。俺は表情を変えずに、先輩が此方に身体を寄せるのを見守る。
ごくりと喉が音を鳴らす。
ここは作法室。
備品を整理していたところに、あれとこれとを貸してくれと豪快に襖を蹴り開けてやってきたのは、先輩、だ。
飛び込んできたときは物凄い勢いだったのに、俺が居るのをみると、用事などそっちのけで、どかっと其処に座り込み世間話を始めたのだ。
実のない話。最近あった話、噂話、就職についての話。その他諸々。
世間話をするのは全く構わない。どころか、俺にとっては、嬉しい状況。俺はどちらかと言えば相槌を打っているだけなのだが、こんな時間も嫌いじゃない。
そんなこんなでとばっちりの様に、俺に矛先が向いた訳だが。
好きな人居ないの、ときたか。
俺の気持ちを分かっているんだろうか。いや、それはないだろう。
別に、俺を意識して、だとか、俺を特別視してなんてことはない。先輩はいつだってそう。
誰にでも屈託ない笑みを浮かべ、誰にでも分け隔てなく接して、優しくて、それでいて、厳しい人なのだ。
俺が分からないことを聞くと優しく教えてくれる。武器を持つと人が変わったように鋭い目をする。
甘えるような目を見せたり、急に艶っぽくなったり。一生ついていきたくなるような頼もしい目をする時もある。
俺はずっと、この人が。
「立花って睫毛長いよねぇ、肌も綺麗だし」
今此処に、他に誰も居ないからと言って。
もう少し顔を近づけたら、俺が顎を上げたら、唇が触れてしまいそうな距離で。貴女が目を細める。
「うわ、すべっすべ!」
ぬっと伸びてきた白くて、細くて、長い指が、触れた、と思ったら、指の腹でぐりぐりと頬の肉をこねくり回される。
されるが、ままだ。
「なんでかなぁ。なにもしてないとは思わないけど、私だっていろいろやってるのに〜」
むぅ、と口を尖らせる。いろんな表情で忙しい人だ。
先輩だって、綺麗ですよ。
私なんかとは比べ物にならない、くらい。
私はずっと、そんな先輩が…。
なんて。他のくのたまになら平気でつらつらと並べられるだろう言葉。そんな歯の浮いた台詞。貴女にだけ、言えない。
いつも貴女を前にすると、たくさんの言葉が口から出なくなる。
ほんの一言、伝えたい気持ち、なにも、言えなくなってしまう。
「麗しの立花仙蔵、か」
そう言って、先輩は俺からは身体を離して立ち上がった。
手早く必要なものを部屋から掻き集めると、じゃあね、とだけ言って、部屋を後にした。
もう一度。
もう一度聞いてくれたら。
今度は、貴女だって、答えるのに。
なんといって貴女を見送ったのか。どんな思いで貴女の背中を見送ったのか。
霧がかかったようで、思い出せない。
此処を卒業していく先輩に、俺は、なんと言葉をかけたんだったか。
思い出せないほど、他愛もないことしか、言えなかったんだろう。
貴女の居ない学園。
あんなに色付いて見えていた景色が、なんとも味気ないものに見える。
俺は、ずっと、貴女がいる風景を見続けたかった。
深い緑の制服を纏えば、貴女の横に立っていた先輩方の姿が蘇る。
俺はずっと貴女の横に立つことが出来なかった。ただの後輩で、それだけで。
先輩。俺が、もっと努力したら、此処を出て、貴女の横に立つ事は、出来るんでしょうか。
真新しい制服が、授業の度に、課題の度に、汚れ解れていくのを喜ぶべきか。
貴女と作法室で話した、あの日から、ちょうど一年が過ぎようとしていた。
「おやおや、緑の制服がよく似合うこと」
俺は聞き馴染みのあるその声色に、動揺を隠せずに前のめりに振り返る。
そう、この声は。
「先輩、」
「まぁた立派になったわね。綺麗なのに漢!って感じになったわね」
先輩だ。
まさか、そんな。
いやでも、確かに…先輩が、居る。
「…褒めて、ます?」
「私が立花のこと悪く言ったことなんてあった?」
「ない、ですね」
でしょう?なんて、笑う、先輩。
淡い橙の着物を纏った、より一層艶やかさを増した先輩。
可愛い、でも、綺麗で、美しくて。
変わらない、変わらない筈なのに、全然別人にも見える。でも、先輩だ。
話をしてる。だから、先輩は確実に居る。これは幻じゃない。
でも、まだ、夢でも見てるんじゃないか。そんな感覚さえする。
嬉しいと思う。でもまた、この人を前にして未熟な自分を思い知らされて苦しくなる。
でもそれ以上に、この人への想いが胸にぽつぽつと沸く。
押さえ込んでたた気持ちが、ふつふつと身体の奥底から湧き上がってくるのを感じる。
貴女を見送って一年。押さえ込んでいた気持ちが、蘇る。
ずっと、抱いていた、この感情を。
「あれ、また大きくなった?」
「そうですね、それなりに」
「ちょっと手、貸してみ」
そう言って、相変わらずな調子で、貴女は私の手を取って、自分の手と重ねる。
ほぉ、なんてわざとらしく笑って。
じんわり、触れたところから、熱が伝わる。
「手も大きいし、まだまだ大きくなるねぇ」
去年だって、こんな風に貴女を見下ろしてた。
そうだよ、ずっと思い焦がれてきた貴女は、もうとっくに俺より小さかった。
前背中を見送ったときだって、もう、ずっと俺より小さかった。
「あと数年はまだ背は伸びるよ。あーそうするとせっかくの麗しの仙子も見れなくなっちゃうなぁ」
手のひらが離れていく。
一年越しに触れた、貴女の手は、暖かい。
指を絡めれば良かった。離れないように。指を絡めて、その手を引き寄せて、抱きしめれば良かった。
拒まれても、強引に、抱きしめれば良かった。
ああすれば良かった。こうすれば良かった。
貴女に対しては、いつも心残りばかりだ。そうやって、いつも俺に跡を残していくんだ。
一歩分の距離を開けて、艶っぽく貴女が笑う。
その目つき。その視線の使い方。変わらない。
嗚呼、本当に。貴女という人は、俺の心を捉えるのが、うまいんだ。
「ねぇ」
「はい」
「立花、好きな人いるの?」
あ。
と、蘇る。あの日の情景。
もう一度、もう一度聞いてくれたなら。
「えぇ」
言えるって。
今なら、やっと、言える。
さぁ、今。
一年暖めたこの言葉を。
耳の穴かっぽじって、今度こそ、聞け。
「ずっと、先輩が好きでしたよ」
「ようやく言えるようになったかね。良かった良かった、成長したねぇ立花」
「え」
「あのね、立花のそのわっかりやすい顔見てたら嫌でもわかるっての。立花の同級生でも知らない人いないんじゃない?」
「んなっ」
「逆にそれで隠せてると思ってんなら私のこと舐めすぎ〜くの一舐めすぎ〜」
そう言って、悪意なく、他意なく、大袈裟に笑って、俺の胸に手を添える。
ずっと気付かれてた、とか。悔しいし、恥ずかしいし。
それに、何気ない、先輩の触れ合いが、
「あっはは、わっかりやす〜。もっと性欲に正直なったら?何度もこうやって身体のあちこち触ってやってんだからさぁ」
「っ、じゃあ…」
「どんだけお膳立てしてやったと思ってんのよ。全部無下にしやがって」
しやがって、なんて。口が汚い。
でも、そんな貴女だって、どんな貴女だって、俺は、俺はずっと、大好きなんだ。
「もっと早く言ってくれたらいくらでも応えてやる準備できてんのに、全然言ってくれないんだもんー卒業して一年経っちゃったじゃないー」
「すみません…」
「この一年で就職した私との差は大きく開いたわよ!仕方ないから今から失った時間取り返さないとね。立花は、これから何処で働くのよ」
嗚呼、駄目だ。
この人には敵わないし、この人が、滅茶苦茶好きだ。
「はっ、シナ先生に報告しなきゃ、ようやく立花が言えたって」
「はぁ!?なんで、やめてくださいっ」
「あ、シナ先生ー!ようよう立花がー!!」
「わぁああああ、やめ、先輩!!」
19.03.02