05/11/13 丸善の閉店

05/11/13 丸善の閉店

京都丸善が10月10日をもって閉店になった。

丸善は河原町通りの四条と三条の間、河原町蛸薬師にあり、つまり京都の繁華街のど真ん中に店を構えていた。

創業当初(明治時代)は三条麩屋町にあったそうだが(ふむふむ)、ほどなく河原町通に移転して、現在まで頑張って来た。

本店の東京もそうだと思うが、洋書をたくさん輸入していた書店で、私自身も中学生の時から入り浸っていた。

英語の対訳や、フランス語、その他の外国の書物を多く扱っていた。
そういう書店は京都ではもうほかになく(あったとしても数で丸善を凌ぐ所はない)、これからは一体どこで探せばいいのだろう。

若い人ならネットで、なんて簡単に答えを出すかもしれないが、書店へ行き、うろうろし、実際の書物を見ていろいろ吟味する、というのも、書店へ行く楽しみのひとつだったはずだ。

そういう楽しみが減ってしまう、なくなってしまうことは、返す返すも残念だ。

 

尤も中学生の時に私が丸善に入り浸っていたのは、文具売り場においてあったシールがお目当てだったからだ。

今となってはなぜだかよく分からないのだけれど、昔はファンシーショップなどがあまりなかったからか、丸善で売っているシールが、私たちの学校の中学生の間で流行ったのだ。
そのシールは丸善でないと売っていない。

それでよく、学校からの帰りに丸善へ行った。そのあとサンマルコとか春陽堂などで食べる。

丸善へ行くと、いろいろな珍しい本を売っているので、それを見るのも楽しみになった。

学校の近所の本屋にも対訳本を売っている所はあったが、丸善の方が種類が多い。

「ロミオとジュリエット」の対訳などを手に入れて悦に入っていたことがなつかしい。

「スヌーピー」の原書も売っており、もちろん買った。

ビートルズの「イエローサブマリン」のペーパーバック版なども売っていて、それは今でも私の宝物だ。

それは今だに日本語に訳されていない。

大学を卒業してからは丸善にご無沙汰するようになった。

 

最近改築され(と言っても10年くらい経つかな?)、建坪が減ったが階数が8階建てくらいに増えた。

私は前の武骨な建物の方が好きだ。

玄関が後ろに後退し、前のスペースにはワゴンなどを出して雑貨を売っていた。

そこで、売り子さんがワゴンの前で客引きをするのだが、冬になると底冷えで、繁華街でもコートを着ていても寒い。
そんな吹きさらしの中で社員に客引きをさせている丸善は鬼かと思っていた。

あんな空きスペースなど作るべきではなかったと思う。

けれども、まだ新しいビルなので、丸善がなくなっても新しいビルを壊すことには反対だ。十分使えるというか、まだ新しいまっさらなのだから。

 

思えば、丸善は労働組合(?)の力の強い職場だった。

学生運動がたけなわの70年代初期、バスの中から丸善を見ていると、よく威勢のいい文言を書いた檄文が窓に貼ってあった。
のみならず、職員はよくストも決行して、時々店が休みになった。

今思えば、それなりにのんびりした時代だったのだろうか。

寒風が吹きさらしの店の前で、クリスマスに、寒そうに雑貨を売っている丸善の店員を見て、昔日の思いを持ったこともあった…。
時代は変わったんだなあ、と。

河原町通は、まあ河原町だけではないが、どんどんヨソからの資本が入って来て、つまらないビルが増えていく。

昔、駸々堂だった場所にはなんとラウンドワンが出来ている。
京都書院のあった場所にはオーパがある。

100円ショップ、ドラッグストア、アミューズメント、…もう、河原町通はおしまいだなと思う。
この上、丸善がなくなったのでは。

それでも古本屋さんや、和雑貨を売っている店はある。せめてそれらは頑張って欲しい。


丸善特製・原稿用紙と同じデザインのメモ帳

駸駸堂がなくなった時はとてもショックだった。

まさかなくなるとは思っていなかった。

そしてその少し前に京都書院が倒産した時には、本当に驚いた。

あんなユニークな書店がなくなるなんて、私は京都の財産がひとつ減った、とまで思った。

京都書院と京一会館はかけがえのない、京都の財産だったのだが。

京都書院にも、高校、大学と入り浸っていた。

あそこで澁澤龍彦を知り、マニエリスムを知り、エリアーデを知り、グスタフ・ルネ・ホッケの著書に憧れ、唐十郎の下鴨神社赤テントのポスターに憧れ、映画の前売り券を買った。

そうそう、京都書院は赤江爆の小説にも登場したことがあった。

向いのビルの地下にも一時京都書院が店を出していたことがあり、そこもかなりユニークだったので入り浸っていた。唐十郎や稲垣足穂の本などが山のように置いてあった。
そこは店員が一人だけで万引きし放題だという話だった。

今は影も形もなくなった京都書院。

あった時はそれがどれだけ素敵にユニークな書店かということが分からなかったのだが、今になってみればすごかった思う。

ああいう書店によって、京都は独自の文化を発信していたのではなかったかと思う。

丸善もおそらく、このような途方もない喪失感を抱かせる店であるに違いない。

尤も、どこかにもう一度店を構えるというから、それを期待しよう。



漱石山房の原稿用紙と丸善特製原稿用紙。

以前ブログで書いた、丸善原稿用紙について。

夏目漱石が使っていた原稿用紙と丸善特製原稿用紙のデザインが良く似ていると思ったら、同じだったということを書いたのだ。
これが証拠だ!

右側が始めの画像に写っている「萬年筆物語」というタイトルの丸善原稿用紙。

そして左側が夏目漱石が漱石山房の原稿用紙に書いた原稿。
原稿のタイトルは「ケーベル先生の告別」。

漱石の原稿用紙は、右側のサラの原稿用紙の、上部のイラスト部分の開きに「漱石山房」の文字が入っているのが分かる。
左右に描いてある龍の頭は、全く同じだ!

また、マス目の両脇の、よれよれした点線も全く同じだ!
とってもおしゃれ。こんな原稿用紙なら、楽しく文章が書けそうだ。

漱石の原稿用紙は、前に言ったように、19字×10行だった。丸善のは20字詰になっている。
微妙にひとマス多いのだ。

ちなみに、漱石のケーベル先生の原稿用紙は、赤い字の校正が入った肉筆の本物。なわけがなく、「太陽」というムックの夏目漱石総特集についていた付録だ。
漱石の原稿が、原寸大で収録されていたのだ。マニア感涙の付録であった。

漱石の特注原稿用紙が19字詰であった理由は、漱石が、原稿を書いていた朝日新聞の小説欄が19字詰だったからだそうだ。


05/11

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