00/5/1 Xジャパンを好きになったわけ
00/5/5 HPをなぜやるようになったか
00/5/29 ヤマヨシ賛

5/29 ヤマヨシ賛

ヤマヨシというお菓子メーカーをご存知だろうか。

 

私は、ポテトチップスというスナック菓子には、長いこと無頓着であった。
今まであまり食べなかったし、知識もなかった。

スナック系で好きだったのは、「サッポロポテトバーベQあじ」であった。
昔若い時分は、この「バーベQあじ」に凝りまくり、カタキのように食べていたことを思い出す。

あれの、味が濃くついている部分を探しながら、食べるのが趣味であったのだ。
なぜなら、ひとつひとつに味のむらがあり、濃くついているのが、味がついていて、おいしかったからだ。

食べていたのは随分昔で、今はとんとご無沙汰している。
だが今でも売っているらしいのには、驚嘆する。

それ以外は、私は準チョコレート菓子というのが断然好みだった。
これは「パイの実」とか、「コアラのマーチ」のことを指す。

バーベQあじ以外のスナック系は、わずかに「ドンタコス」や、「カラムーチョ」などに食指が動いたくらいであった。
ポテチは、まったく私の好みの範疇にはなかったのである。

だが近年、ふとした気まぐれから、私はコンビニで、あるポテトチップスに目が向いた。

それには、私の好きな「トマトソース」という名がついていたからである。
スパゲティのトマトソースが好きなのだ。
どんなにか好きなことだろう。

私はそのような名のポテトチップスを、買わずにはいられなかった。
そして買って食べた。
その時の、えもいわれぬ満足。
それは私の理想の味に近く、スナック菓子でこのような満足が得られたことに、驚嘆さえした。

私は狂ったように「トマトソース」味のポテトチップスを捜し求め、買い続け、食べ続けた。
しかしある日突然、それは終わった。

店頭から「トマトソース」が消えたからである。
なんという不幸だろう。
まさかそんなに早く破局が来ようとは。
なぜ消えたのか、と私は悲しんだ。

私は一瞬、メーカーが倒産したのかと思い、絶望したが、そのメーカーは他にも「わさビーフ」などという気の抜けたような名のポテトチップスを発売し続けていたから、倒産ではなかったのだ。

原因は分かった。
メーカーが製造を止めたからだ。
なぜだ!
なぜそんなに早く止めるのか。私は叫びたかった。

 

この、「トマトソース」を発売していたメーカーがヤマヨシなのである。

私の姪たちに、このメーカー名を伝えると、知らない、とへらへら笑われた。
多分、あまり知られていないマイナーなメーカーだから、商品のサイクルが素早いのだろう、と私は推測する。

以降、コンビニにおいて、ヤマヨシの名は、私にとって絶対マークしておかなければならぬ聖なる名前になった。
同時に、ポテトチップスに無関心だった私が、目を見開かされることになった。
大変なメーカーなのであった。

そしてこの私の多大な期待を裏切ることなく、ヤマヨシは、絶妙な味加減のポテトチップスを製造しつづけているのだ。
ヤマヨシは、「トマトソース」に見られるように、ひとつの商品を決して長く存続させない。
次から次へと新しい商品を開発しては、短期間のうちにそれがなくなると、また新しい商品を出す。そういう方法論の会社のようである。

だが、そのように次から次へと繰り出される新製品は、決して私を裏切らないのだ。
いつも、絶妙な味加減で私の舌を喜ばせてくれるのだ。
こんなメーカーがあるだろうか。

ポテトチップスの袋を見ると、このメーカーはホームページを開設しているらしい。
しかし、袋のどこにもアドレスが書かれていないのは、奥ゆかしいことだ。

5/5 HPをなぜやるようになったか

インターネットを始めてもうすぐ1年になる。

コンピューターを買ったのは、使っていたワープロが駄目になったためで、買ってから3ヶ月の無料体験を経て正式にインターネットの契約をしたのが6月。

無料体験は5時間で3ヶ月でも使いきらなかった。
時間ばかりが気になるし、私には向いてないな、と思ったものだ。

正式に契約してとにかく最初に見たのはもちろん、バービーのサイトで、でもすぐに飽きた。
スタティックすぎるというのと、やはり15時間(当時)という時間を気にしてのインターネットは、落ちついてとてもやる気にはならなかったからだ。

いっとき夢中になってやりすぎ、超過時間が気になってからは、なるべくインターネットしないようにした。

インターネットは、自分でホームページを持たなくては駄目だ、と思うようになった。そうしたら、同じ趣味の人とも交流が出来るだろう。

もともと、コンピューターを買う前からホームページは作りたかったけれど、むつかしいだろうと思って、買った当初は全然、作ろうと思っていなかった、というか、作れると思っていなかったのだ。

でも、ワードで遊んでいるのも面白かったが、HPを作る事にした。
むつかしいだろうと思ったが、とにかく作らなくては駄目だという思いで、毎日コンピューターを立ち上げた。

そうしたら、コンピューターを買った意味というのが初めて分かった。

コンピューターで写真を取り込み、シールにしたり、Tシャツを作ったり出来るだろう。でも、写真をHP用にプレゼンテーションする方がずっと手軽で、また簡単に出来る。
コンピューターは、HPを作るためのお膳立てを、あらかじめとても親切に用意してくれているのだということが、作り始めて分かったのだ。
コンピューターの機能をフルに使おう、と思ったら、やはりホームページなのだ。

作り上げるのに半年かかった。
そして今でもフロントページ・エクスプレスで、写真は「写るンです」。
それでも自分の力で立ち上げて、やっとインターネットに参加したという気になる。

当初、面白くないと思ったインターネットも、自分でやってみて、初めてその楽しさが分かる。
未だに飽きる事がないのだから、やはり、私の場合、見ているだけではつまらなかったのだ。

まだまだ、楽しいだけでなく、考えなくてはならないことも多くあるだろうけれども、たいていのウェブマスターの人たちは、きっとこの楽しさが、たとえ機械が相手でも、血の通ったものだと信じているから楽しいのではないだろうか。

ネットだけに依存してしまうことはとても危険だろうが、私にとってネットは、それでも、生活の中で、既にとても大事なものになってしまっている。
楽しく、暖かい気持ちになれる…それもまた、事実だから…。

***

註)コンピューターのことには詳しくないので、やや的外れな発言があるかもしれない。

5/1 Xジャパンを好きになったわけ

5月2日はHIDEの命日だ。
私はその日まで、HIDEが誰なのか、X-JAPANの何者なのかを殆ど知らなかったのだが。

 

X-JAPANは、もともと大嫌いなグループだった。

そのいでたちは幼稚な自己顕示としか思えなかったし、なにより、リーダーのYOSHIKIの、あの三島由紀夫的な過剰な自己露出癖に、嫌悪感があったのだ。
みずから進んでヌードになったり、誰も聞いていないのに「僕暗譜が出来るんで」などと言う自慢が、たまらなく嫌だった。

嫌悪感が薄れていったのは、彼らが髪を下ろし、紅白歌合戦で、美しい歌声を聞かせるようになった頃から…多分、それは「TEARS」あたりだったろうと思うが…、興味を引かれるというほどではなかったものの、嫌悪感だけは和らいでいった。

次に私が意識したのは、もう解散の時だった。
再び、最後の紅白のステージ、出ない声で必死に歌っている姿に、確かに感動を覚えた。
解散の瞬間に、私は初めて彼らを認識したのだった。

解散コンサートのNHK放送を録画した。
でも、それを全部見たのは、5月になってからだ。

***

あの日、記者会見で、解散し、別れたはずの4人が喪服で勢ぞろいしていた。
その、痛々しい姿。

若さにまかせて突っ走っていた青い青年ではもうない。
30を越し、分別もついて来た、それでもまだまだ喪服を着るには早すぎる年の彼らに、何となくあわれなものを感じた。

私は本当にHIDEを知らなかったので、彼の死が悲しいという感情は、もちろん何もないのだった。

のちに、その外見に似合わず、心の優しい人格者であったことが私にも人づてに伝わってきたが…、自殺と報道された不幸な死は、ただ、若すぎる人の死として、むごいと感じたのみだった。

それでも偶然休みだったあの日、私はずっとワイドショーの番組をつけて、葬儀の様子を逐一見ていた。
そして歌われた"Forever Love"…
私はもちろんその歌の題名も、歌詞もその時は知らない。

乱暴に歌われたそれを聞いていて、やがて涙が出て来て止まらなくなった。
なぜだろう、つい最近まで嫌いだった筈の彼らに、なぜ涙を流しているのだろう。
私はその時に、彼らのファンになったのだ。
というより、TOSHIの。

***

それからの4ヶ月間は蜜月だった。
初めて日本人アーティストのCDを買った。
その中で見つけた、「HANA 〜いのちの芽生え〜」という歌。
ちょうどコンサートがあり、それにも行った。

京都のコンサートは、本当に人が少なかった。
これが元X-JAPAN? と疑うほど、観客が少なかった。
しかし…、

コンサートの中で、彼は現在の心境を語り…、それは、私のその時の琴線に触れたのに違いない。
コンサートのあった夜は、眠れず、泣いていた。
なぜかしら涙が出て来て、止まらないのだった。

最後の曲の前、彼は、前ふりとして何気なく、
"このコンサートが終われば、みんな、それぞれの生活に戻り、僕も戻るのだが…"と語った。

このひと言に私は深く思いを持った。
ステージの上から特別な者として客を見下ろすのでなく、ひとりひとりに同じだけの生活と、人生がある…そんな風なことを考えさせる言葉だった。

「HANA」の歌詞も、そんなことではないだろうか。

だが、蜜月は突然、終わった。
9月、例の騒動で、ぷっつりと。

それまで毎日聞いていた「HANA」を、なぜかもう聞けないのだった。

洗脳…?。
ただ、そこまで行かないと、精神を保てないほど彼は蝕まれていたのだろう、とおぼろげながら思うのみだった。

***

今でもあの歌は大好きだ。
今では聞くこともできるし、口ずさむことも、やっと、出来るようになった。

多分、TOSHIを責めることは出来ないのだろう…。

00/5

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