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弁慶も泣きたくなるほどの。 先生に捕まった。友人達と一緒に。休み時間を洗面から戻る途中に。 次の授業の国語教師。 お前ら、これ持っていってくれ。 そう言って準備室から、人数分の古語辞典をどしんと手渡された時には「まじでー」とか「先生、女の子にはきついよー」とか騒いで軽く拒否の態度を示してみた。 先生は、お前らも女子だったのかーなんて、ふざけて笑ってた。 お腹の前で辞典を両手で持つ形で、最上部の辞典が落ちないように気をつける。教室に戻ったら、手は疲労を覚えているだろうけれど、筋肉痛になるほどではないだろうから、先生を憎むとかはない。 身振り手振りの会話は出来ないけれど、友人も私も廊下を辞典を手って会話に励んでいた。 教室まで着くと、幸い、近い後方のドアは開いていた。 友人達が入ってからその後ろに続く。その後ろにクラスメイトが来たおかげでドアを閉めなくてすんだ。 そろそろ辞典を置きたいかな、と思った。そしたら、国語の準備をしないと。いつもあの先生中てるから、今日は何日だったかとか確認しなおした。 机の間を通る友人達に続こうとしたとき、後ろにいたクラスメイトのどこか――たぶん肩、がぶつかった。 左肩の先っぽが、後方から押し出されるように。 (わ) そのまま肩が前に出るのに体全体が前に出て行く。わりぃ、と声が聞こえるよりも早く、肩の力が変な方向に働いて、手にあったはずの重さが消えた。 落とした。やばい。 休憩時間だったおかげで、紙で出来ている辞典が大きな音を立てることはなく、注目を浴びることはなかったけれど。辞典が落ちたのと同時に、自分の体勢も早く戻したいような姿勢になっていたけれど。それよりも。 「ご、ごめんっ」 辞典が飛び散った場所の机の持ち主にあたってしまったらしい。彼は椅子に横になって座って、後ろの席の男子としゃべっていたらしく、その横にでていた足に辞典が衝突。 そうとしか思えない。現に彼は椅子に座ったまま、左足を両手で押さえて上半身を大きく曲げて倒していた。顔は見えない。その代わり、前髪が揺れているのが分る。 辞典を拾うよりも早く、体制的にもそのほうが早いし楽だったので床に膝を突いた。 既に友人達は教卓の上に辞典をおき終わり、私の出来事に今更気づいたようだった。 「へ、平気……じゃないよね、ほ、保健室行く……?」 中った場所を押さえ続けている姿。もしかしたら重症かもしれない。彼が、運動部で部長なのを知らない人間はこの学校にいないだろう。 もしかしたら、最悪、骨折という言葉が浮かんで体内をいやな温度が走った。 すると彼は、そのままの体勢で私にだけ顔が見えるくらいにあげて口を開いた。 「……気に、すんな」 「でもっ」 痛そうだよ。打ち所が悪かったらどうするの。 声も小さい。あの跡部君が、ずっと押さえて、耐えているなんて。 本当に、大丈夫? と聞きなおすと、彼は、 「打ち所が、悪かったんだよ」 と、ぼそりと居心地悪そうに呟いてくれた。 既に回りにあった辞典は友人が片付けてくれていた。あんた、なにやってんのとか言われたり、代わりに友人が謝ったりしていたけれど。 痛いのを我慢しててるその目の形と、いつもより強く結ばれている口元。 その我慢している表情に、不意に胸がときめいた。 「……ださいね、跡部」 ふいに横から聞こえた声に、こんな時に――跡部君の足に辞典を落とした時に、何を考えているんだと頭を振る。 「うるせえよ、滝」 一つ、私の手元にあった時点を滝君が拾ってくれた。 ありがとう、と声を出すよりも早く。滝君は他の誰にも聞こえない声で私に言ってから、にこりと意味ありげに笑っていた。 「さすがの跡部も、情けないのカバーするのに必死っぽいねー」 耳を疑ったのが瞬きとなって表れた。それを見て、滝君は幻滅しないであげてねと付け足してから跡部君の心配をしてあげていた。 それって。 まさか、辞典に恋を運んでもらえるなんて思ってもいなかった。 end. 05/07/03 |